推し活についてメタ認知してみる
健やかに「推し活」を楽しむための心構えを心理学者と考えてみたら https://lidea.today/articles/002991?utm_source=tw&utm_medium=social&utm_content=2991&utm_campaign=contents_share
私が今していることは“メタ認知”にあたる。と思う。
最初のうちは「つらい。ひたすらつらい。こんなに好きなのにどうして距離を置かなきゃいけないのか。なぜ私がこんな思いをしなきゃいけないのか。」と思ってネット上を彷徨った。
通知も全て切った。
推し 離れたい
このワードで検索したらまあ出てくる出てくる。
過去に理由は違えど私と同じ状態に陥っていた同志たちの記録。苦悩。
この人は私なのでは?と思える内容も多々あって、同じ境地に陥るものなんだなと安心したのも事実だし、また推したいと思ったのも事実。
自分の推しに変換して考えてしまうから。
違う界隈に推しを持つ十数年来の友人に私の状況を話したけど、まあかなり鋭い槍がどんどん降ってくる。
共感したりして欲しい面もないわけではないけど、ズバズバ言ってくれるのもまあありがたい。
元同担さんがTwitterの鬱ツイートを見て声かけてくれただけでも救われた。
鬱ツイートしてるだけでめんどくさい大人だなと思う。
いいじゃない大人でも。推しを見ている時だけは年齢も性別も立場も何もないでしょう?
…という事にしておく。
話を戻すと、この
は非常に重要だと思う。
推しと距離を置いたばかりのお嬢さん方にはまだこの境地には立たないかもしれないけど大丈夫。あと2、3日もすればすぐこちらに来れるよ。
急にスンとなる日が来る。
虚無感はあれど肩の荷が降りたような、そんな感覚。
かくいう私も当初はつらすぎて泣いてました。いや本当に。自分の中で推しのことを思うたびに。まだ今は泣けないって我慢しながら夜布団の中で泣いてた。
推しと距離を置きたくてもがいている人の叫びをたくさん聞いてみて欲しい。
みんな同じようなこと思うんだなと少し安心するはずだから。
そこから自分の場合はどう思ったのかを考えてみて欲しい。
何が距離を置くきっかけとなったのか。
同担のマウントが耐えられない、みていたくない、よくできるね?
私はそう思っていた。
推しのせいじゃない。と。
でも友人と話したり色々なブログを読んでみて自分なりのメタ認知をしていると理解できた時に
私は置いて行かれた気がしてただ悲しかったのだ
という結論に達した。
見返りを求めていないようでいて求めていたのかもしれない。
わかるように説明して欲しいなんて私のエゴだ。
ちょっと寂しい気もするけれど私はただのリスナーである。
そこに推しがコメントを拾ってくれたりしちゃうものだから距離感を履き違える。
推しが認知してくれているものだと。
ちゃんと考えた上で配慮してくれる推しもいると思う。特殊な世界だから、ファンの子にもわかるように話そうって。
でも推しはそうじゃなかった。ただそれだけ。それ以上でも以下でもない。
そこに勝手に気に食わないと文句つけてるだけなんだなあと、冷静になってみてみたらなんと子供じみたことか。
だけど今まで通りにはしてやんない。癪だから。
これは私の無意味なプライド。意地。
私の心を守るためには必要なの。